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医師紹介

西原 淳 Jun Nishihara

経歴 
愛媛県松山市木屋町生まれ、親の転勤で
香川県立高松高等学校卒業
昭和53~59年愛媛大学医学部医学科(6期生)
昭和59年卒業、医師国家試験合格
昭和59年愛媛大学医学部耳鼻咽喉科
昭和60年愛媛県立中央病院耳鼻咽喉科
昭和61年市立宇和島病院耳鼻咽喉科
平成5年愛媛大学医学部耳鼻咽喉科
平成5年現住所にて開業

日本耳鼻咽喉科学会専門医
日本耳鼻咽喉科学会補聴器相談医
身体障害者福祉法認定医(難聴)
学校医 (岡田、松前、北伊予小学校、
岡田、松前、北伊予中学校)

小中学生の頃は宇宙に興味があり、NASAと文通をして資料を沢山集めてました。
中高生時にはパイロットになるのが本命で航空大学を目指しました。
しかし高校1年頃近視になって泣く泣く断念、当時はメガネやコンタクトはだめでした。
それなら物を作るか(工学)、治すか(医学)を考え、治すほうを選び故郷の愛媛大学医学部が2期校最後の年だったので受験し医学生になりました。当時は高校も大学も今ほどきつくなくて自由に勉学やサークル活動の学生生活でした。
軽音楽部に所属してたのでその頃のメンバーや先輩・後輩とは今も仲良く交流があります。
勤務医時代は今よりも激務でした。県立中央病院や市立宇和島病院でも午前は一般の患者さんを100人程度診察して、昼からは手術、扁桃摘出や鼻の手術なら一人で一日5,6人程度、癌の手術なら朝からやって再建までしてたら深夜までかかってました。
おまけに当時は常時救急患者を受け入れてましたので、夜や日曜日は待機、日曜日に耳痛や鼻出血、異物の患者さんを何人もみたり、両病院とも顔面頚部重度外傷、呼吸困難等の3次救急の重症患者もみてました。
おかげで10年間臨床修業を積みましたので何でも驚かずに出来るようになりました。
その多忙だった勤務医の経験と、開業してからの一般診療の数多い症例経験がいまの役にたってると感謝してます。